38才で念願の北九州市制50周年記念 国際車椅子バスケットボール大会日本代表入り。

 諦めなければ夢は叶うものですね。かなりの遅咲きですが、僕も2013年に38才にして初めて北九州市制50周年記念 国際車椅子バスケットボール大会日本代表チーム入りを果たしました。日の丸のユニフォームに憧れはあったものの、35才を超えてすでに諦めていた日本代表入りだったので、まるで夢のような気持ちでした。年齢の割にはスピードがあるという部分を、ヘッドコーチに見ていただけたのかな、と思っています。

 最初は求められる役割も初めてのことばかりで混乱してしまい、チームに迷惑をかけてばかりでしたが、ようやく少しずつ自分の役割を理解し、体現できるようになりました。日本代表チームでの役割はとにかくディフェンスです。持ち点の高い選手を、持ち点の低い自分が抑えることが、チームとしてのアドバンテージにつながるので、そこに最大の重点を置いて頑張っています。

 この夏の世界選手権を経験させていただいて、世界と互角に渡り合える手応えを充分に感じています。少しでもメダルに近づくために、個人としてもチームとしてもレベルアップしていかなければいけないと思っています。

世界では認知度の高い障がい者スポーツ。日本も目を向けて!

 自分がこうして車椅子バスケと出会い、この競技に打ち込んでこられたのは、周囲の人々に恵まれてきたからだと思います。よく、『生まれつきの障がいで小さい時に友達にいじめられたことはなかったの?』と聞かれることがありますが、僕にはそういった記憶は一切ありません。いつも隣には気のいい友達がいて、一緒に学校生活を送り、スポーツを楽しんだものでした。

 両親に強く育てられ、理解ある妻と子供たちに支えられ、いつも自然体で笑顔の毎日を送っています。僕自身、細かいことは気にしない、嫌なことは右から左へスーっと消えていくタイプなのがいいのかもしれませんね。車椅子バスケに打ち込むこと、そして仲間との美味しいお酒を飲むことが、とてもいいストレス発散になっています。

 世界的に見ると、車椅子バスケをはじめ障がい者スポーツは社会的にも広く認知され、スポーツ競技として非常に高い地位を築いています。アメリカに行ったときには体育館にハンディキャップ用のトイレが15か所も設置されていたんですよ。残念ながら日本ではまだまだ社会的な認知度や理解度も低いのが現状です。

 競技用の車椅子は、約40万円で寿命は2、3年ほど。選手によっては1年ごとに買い換えている人もいます。健常者スポーツ以上に道具面などでより多くの資金が必要ですが、日本では国からの助成も少なく、スポーツに取り組む環境は非常に厳しい状況です。そういった中ですが、僕たちも日々、真剣に競技と向き合い、厳しいトレーニングを積んでいます。今後、日本でももっと障がい者スポーツに目を向けていただきたいですし、それと同時により理解と支援の輪が広がってくれることを願っています。

 それから最後に一言だけ…。僕のように障がいを持っている皆さんも、一度車椅子バスケットボールに挑戦してみませんか。コートは自分を思い切りさらけ出せる場所です。皆、笑顔で待っていますよ!