半ばヤケで踊ったダンス初体験で、すっかり虜に!

 車いすのダンスで、国内で唯一行われていたのは、いわゆる“社交ダンス”でした。ただ、当時の私はかなり内向的でしたので、女性と手をつないで踊るなんて絶対に無理だし、観客の前で自分を表現するとか、求愛ダンスとか、とてもじゃないけど出来ないと敬遠していました。でもインターネットで見つけた車いすダンスの先生に思い切って電話をかけてみたところ「すぐいらっしゃい!」というお返事。その翌週、さっそく先生のところへ行きました。後から知ったのですが、この四本(よつもと)信子(のぶこ)先生は車いすダンスを日本に持ってきた第一人者、NPO法人 日本車いすダンススポーツ連盟理事長で、社交ダンス界でも名が知られているすごい先生だったのです。

 四本先生のスタジオに初めて出向いた時のことを今でもよく覚えています。到着するなり、「音に乗ってみてください」と言われてスタジオに放り出されました。まったく踊りを知らない私は、「えっ、どういうこと!?」と、オロオロするばかり。すると四本先生は「とにかくリズムに乗ってみて」とおっしゃいました。私は半ばヤケになって音楽に合わせて体を動かしてみました。すると先生がスーッといらして私の手をとってリードしてくださったのです。そしたらすごく自然に踊れて、すごく楽しくて!これをキッカケにすっかりはまってしまったんです。

 ここから目まぐるしく状況が変わっていきます。10種(*1)のダンスと振り付けを猛練習して、2か月後には大会に出場しました。何も分からないまま出場しましたので、慣れない場所で、かなり緊張してしまいました。そのためか戦績は悪かったのですが、観客の前でパートナーと2人で踊る楽しさ、喜びを感じることができました。この4か月後のスーパージャパンカップで3位に輝き、さらに北京で開催された2014国際パラリンピックアジア車いすダンスコンテストでインチョンのアジアパラ競技大会(*2)の代表に選出されるというサプライズに至ります。こうして選出されたのは、競技人口が少ないというのもあるのだろうと思いますが、とにかく出会いのタイミングが良かったのだと感じています。

(*1)車いすダンスは10種類(スタンダード5種/ワルツ・タンゴ・スローフォックストロット・ウィンナーワルツ・クィックステップ、ラテン5種/チャチャ、ルンバ、サンバ、パソドブレ、ジャイブ)を踊り、表現力や技で得点を競う。

(*2)車いすダンスは今年からアジアパラ競技大会の正式種目となり、日本代表(四本信子監督)では小谷野・茅野組がコンビスタイル
で銅メダルを獲得した。

 車いすダンスは健常者のスタンディングパートナーと車いすのウィルチェアドライバー(*3)がコンビを組んで大会に出場するため、健常者のパートナーさんが必要なのですが、私が初めて四本先生に電話をかけたその同じ日に、健常者の方で「車いすダンスをやりたい」と連絡してきた女性がいたのです。同じ日だったので先生もびっくりされていましたが、今の自分のパートナーが何を隠そう、その女性です。

(*3)車いすでダンスするウィルチェアドライバーには、障がいの程度に応じた持ち点である「14点」を基準にクラスⅠ(障がいの重い方)とクラスⅡ(障害の軽い方)というクラス分けがある。

 彼女は自分より年上で社交ダンスを20年されてきた大ベテラン。それだけに踊りの技術と知識もかなりあり、ダンスの楽しさを教えてもらっています。今、改めて感じているのですが、車いすダンスは、練習場所の確保も難しいし、教えてくれる先生を探すのも難しい状況です。そんな中で私は、車いすテニスを辞めて1週間後に四本先生に出会い、練習場所を見つけ、さらに素晴らしいパートナーを得ることもできた。その時は分かりませんでしたが、実はこれはとてもラッキーなことで、色々なタイミングがピタリと合って前へ進んで来られたのだと今になって感じています。この巡り合いに心から感謝しています。