先輩に学んだ“チャレンジすることの大切さ”

 私は網膜色素変性症という生まれつきの病気です。視力が急激に下がり、障がいに気付いたのが5歳の時。それまでは親も分からないぐらい普通に見えていたようです。小学生の時は弱視でしたが、少し見えていました。母親からは「将来は見えなくなるからね」と、ずっと言われ続けていたのですが、当時はまだ子供でしたし、その意味もよく分からなくて、わりと自然に受け入れていました。見えなくなると辛いという概念がある分、むしろ母親の方が精神的につらかっただろうと思います。

 普通の公立小学校に通っていましたので、周囲の子たちよりも自分はできない立場。「見えないと何もできない」という思いがありました。中学から地元の盲学校に。身の回りのことができない生徒もいて…。初めて出会った同じ視覚障がいの人がこんな感じでしたので、自分もいずれはこうなってしまうのだろうかと不安を感じることもありました。それが、高校で筑波大附属の盲学校に進学すると世界は一変しました。

 アクティブな、いや、アクティブすぎる視覚障がい者がいっぱいいるんですよ(笑)。私より見えないのに、一人で外国に行っちゃうような先輩もいました。この環境に身を置いて初めて、「最初からできないというのではなく、何事もチャレンジしてみるべきだ」と思うようになったのです。ゴールボールと出会い、今、この道を歩んでいるのも、この時に学んだチャレンジ精神のおかげ。いつまでもこの気持ちを忘れずに、これからも歩み続けたいです。

 今回、ゴールボールに関心を持ってくださり、こうして取り上げてくださったことをすごく光栄に感じています。私たちだけでは伝えきれない、広めきれないことを、企業がバックアップして支援してくださるのは、本当にありがたいこと。こうした支援をキッカケに、少しでもゴールボールが日本に広まってくれることを願っています。