日本人初のプロ車いすランナーとして、世界をまたにかけた活躍をしている廣道さんは、「最高に幸せ者」と自らの人生を謳歌しています。彼の筋を通した生き方、思考の原点はどのようなものなのでしょうか。競技の魅力、選手生活のエピソードと合わせて、盛りだくさんに伺いました!

Profile 廣道純ひろみち・じゅん/1973年12月21日生まれ、大阪府出身。10代半ばでバイクの事故で半身不随に。日本初のプロ車いすランナーとして、陸上の800m種目で2000年シドニーパラ銀メダル、2004年アテネパラ銅メダル、2008年北京パラ8位、2012年ロンドンパラ6位と世界トップレベルで活躍し続けている。家族は妻と二女。

病院のベッドで「上半身が残っただけ幸せや」

 10代半ばで、事故を起こし車いす生活になりました。好きだったバイクで無謀運転をした結果の自爆事故です。人様にも多大な迷惑をかけたのですから、こうなっても仕方がないわけですが、病院のベッドで目が覚めた瞬間から、反省の日々でした。「やってしまった」。でもそこで我に返りました。死ななかっただけラッキー、上半身が残っただけ幸せや、これからの人生を悔いのないようにやり直そうって――。だから、立ち直るというよりも、落ち込むことが一度もなく、前を向いていました。94歳で亡くなったおばあちゃんも、かわいそう、みたいなそぶりは一切見せなかったし、僕の家族は皆、僕がこうなって良かった(笑)と冗談を言うくらいの姿勢でいました。

 それから、すぐに車いすバスケットボールと車いすマラソンにチャレンジしました。でも、バスケは所属していたチームが日本選手権であっさり優勝してしまいまして。その時に感じたのが、チーム競技だと自分が活躍できなくても、仲間の活躍で勝ってしまうことがあるのだということ。逆に自分が一生懸命やっても、味方の失敗で負けてしまうことがあるということです。個人競技はそれがすべて自分に返ってくるので、勝った喜びも、負けた悔しさも大きい。自分に合っているのは、チームスポーツよりも、個人競技かなと思い、陸上一本に絞ることにしました。そういえば、学生時代から上下関係やしがらみが苦手で、学校のクラブ活動などは長続きしなかった自分。自由に生きてきた次男坊でしたので、確かに個人競技の方が向いているのかもしれません。

スタートダッシュ&駆け引き、魅力の詰まった800mで勝負

 現在は、自分の障がいクラス(※1)で勝負できる一番長い距離だということで800mに絞っていますが、これまで短距離、長距離と様々な種目を走ってきました。どの距離にもそれぞれの魅力があります。短距離レースは、スタートダッシュとトラックのスピード勝負が醍醐味。スタートのポジション争いは、接触ぎりぎりのところを攻め合うので、一歩間違うと大クラッシュになりかねません。トラックでのスピード勝負では、腕だけでこんなにもスピードが出るのだというところを見てほしいですね。時速30kmから35kmほど出ますのでかなりのスピード感。昔は国道で練習していると、原チャリを追い抜いてびっくりされたものです。

 一方で、長距離は42.195kmの持久力勝負と、いつ仕掛けるのか、誰と組むのかの駆け引きが勝敗を左右します。そして、その両方の魅力がすべて入っているのが800m! スタートのポジション取りも緊迫感がありますし、トラックではライバルを前に走らせておいて、最後に一気にまくるというレース展開もスリリングですので、ぜひ興味のある方、まだ見たことがないという方は、機会を作って見てほしいと思います。

(*1)
車いすの800m走は障がいの重度により次の4つのクラスに分かれている。T51/T52=上肢しか機能しない。T53=腹筋が機能しない。T54=腰から上が機能する。廣道さんの出場しているクラスはT53。