競技に転向、苦しさの中にも成長している達成感

 走り始めて5年後に競技に転向しました。最初は趣味の一環、健康のために代々木公園の練習会に月に1回、参加させていただき、楽しく走っていたのですが…。数ヶ月走っているうちに、人よりもちょっとだけ速かったようで、大会でメダルを獲れたりして。練習会もあちこちから誘っていただくようになり、次第に走る回数も増えていきました。そんな中で「競技としてやってみなよ」と周囲の人に言われ始めたのです。自分としては、競技となると他の楽しいことも犠牲にしなくてはいけないということで、なかなか踏ん切りをつけられずにいたのですが…。ちょうど25歳の時に、家の近くにトレーニングジムができたうえに、一緒に戦ってくれそうな速い伴走者の方との出会いがあったりして、走れる環境が整うのと、自分の気持ちが上がってくるタイミングがうまく合ったのです。それで、挑戦してみよう、と決意しました。

 競技に転向してからは、日々の生活ががらっと変わりました。これまでは走っても週にせいぜい2、3回でしたが、転向後は週に5回は走るようになりました。走ることが生活の中心になったという感じです。友達には「付き合いが悪くなったね」なんて冗談まじりに言われました。当初は個人でやっていましたので、ひたすら自分が培った人脈で伴走者も探しました。速い人がいたら声をかけて付き合っていただくという感じです。伴走者の方とは、競技で共に走るだけではなくて、遠征や強化合宿などにも同行していただくことになるので、練習や競技時間以外も長い時間を一緒に過ごすことになります。ですから、性格的な部分でも合う方がベストなのです。自分の走りが速くなればなるほど、一緒に走っていただける人は減っていくので、伴走者の方と出会うのもなかなか難しいところが悩みですね。

 フルマラソンを始めたのは競技に転向して半年後、26歳の時です。競技をするからには、とにかく目標がほしかったのです。ほかに1500m、5000mなどのトラック競技も考えたのですが、僕はスピードがある方ではないので、持久力勝負が向いていると思い、マラソンにしました。27歳で初めて3時間を切った時は、着実にステップアップしているという実感がわいて嬉しかったですね。2015年春の国際盲人マラソンかすみがうら大会で目標としていた2時間50分台を出し、年末の防府読売マラソンでは2時間55分57秒を記録。2月7日の別府大分毎日マラソンでは、自己ベスト更新を目標に頑張っています。

 世界の視覚障がい者マラソンのレベルは、だいたい健常者女子マラソンのトップレベルと同じぐらいにありますので、かなりのレベルの高さだと思います。フルマラソンの魅力ですか?うーん、何でしょう。きつい練習の前には憂うつになることもありますし、時にはなんでやっているのかな、なんて(笑)。でも、やった後には確実に達成感がある。一つ一つ練習を積み重ねていくことで、ステップアップしている実感を得られるのは確かです。練習や試合で走っていると課題が見えてきて、その課題をやっつけるため、それに特化した練習を組んで、繰り返しやっていくと、ある程度時間がたった時に振り返ってみて、「あ、自分はこんなところまできたのだ」と成果を感じることができるのです。レベルアップしていく感じが面白いと思えるので、それが自分の中では続けるモチベーションになっているのかなと思います。

トライアスロンで伴泳ロープが外れる恐怖体験も!

 マラソンで3時間を切った時に「何かを変えてさらにステップアップしたい」という考えがあり、取り入れたクロストレーニングの一つがトライアスロンです。練習会の時に伴走してくださった方が、トライアスロンをしている方で、相談したところ、その時は「ふんふん、そうかそうか、やってみたらいい」と軽く流しているようだったのですが、なんとその1週間後の練習会の時には、トライアスロンの道具を全部揃えてくださっていて!2人乗り自転車タンデムバイクも用意する算段も立てていてくださっていたのです。パラトライアスロンは用具を揃えるのがネックとなり、始めるまでが大変だったりするのですが、もう道具から出場する大会から、すでにいろいろなところに話をつけてくださっていて。これは絶対にやらなくてはという感じになっていましたね(笑)。

 最初に出場したトライアスロン大会は、2013年5月の世界トライアスロンシリーズ横浜大会です。トライアスロンというわけですから、海を泳がなくてはいけないわけですよ!スイムは750m。そこそこ距離もありますし、海には何が潜んでいるかわかりませんから、正直言って怖いと思っていました。でも、結局、一度も海で練習をせず、ぶっつけ本番で太平洋に出たわけです。そしたら案の定、とんでもない怖い思いを味わいました!伴泳者の方と、いわゆる命綱であるロープでつながっているのですが、途中でそのロープが外れてしまって!太平洋の大海原に投げ出された気分で、もうめちゃめちゃ怖かったですよ。立ち泳ぎしていたら、伴泳者の方がすぐに気づいてくださって、しっかり結び直したので無事でしたが、遥か彼方に流されてしまうのだろうかと思って、本当に恐怖を感じました。

 スイムの後はバイクを20km。これはタンデムバイクの後ろに乗るので、怖くはありません。二人で漕ぐ分、スピードがかなり出ますので、僕よりも前に乗っている人の方が怖いみたいです。よく「ちょっとストップ!ストップ!」と言われますね。最後はランを5km。これは得意ですので、一気にまくるのが僕のレース展開です。最初に出た横浜大会の時は、視覚障がいの部が弱視と全盲で分かれており、僕は全盲の部で2位でした。2014年はクラス分けがなくなり全部同じになりましたが、日本人で1位、世界ランキング23位につけました。