「人生は一度きり。誰にも味わえないような最高の人生にしてみせる!」

 競技の方でも、ホームステイの約半年後、1996年の秋に念願の日本一になることができました。すべてジムのおかげですね。これまでは自分のために勝ちたいと思ってやっていましたが、ジムと出会ってからは、彼への恩返しのためにも勝ちたいという気持ちも強くなっていました。初めて日本一になったレースを、今でもよく覚えています。

 あのレースは、スイスの世界記録保持者が独走し、僕と例のライバル選手とアメリカ人選手の3人で2位争いをしていました。しかし、またしても30km過ぎにライバルが抜け出し、僕は「やはりダメか…」と諦めかけました。その時、アメリカ人選手が「まだいける。諦めるな」と声をかけてくれて、そこから二人で協力し合い、体力を温存しながら前と後ろを交代で走ることにしたのです。そして余力を残して40km地点でライバルの背中を捉えました。その瞬間、「勝った!」と思いましたね。追いついた者、追いつかれた者の精神的な差もありましたし、体力的にもこちらは助け合って走ってきたから余力がある。もう嬉しくて嬉しくて、大きなガッツポーズをして2位でゴールしました。

 現在は子どもがまだ小さいこともあり、練習時間が制限されてしまったり、海外遠征を減らしたり、年明けには肩関節を痛め、24年間の競技生活で初の負傷で筋力ダウンを余儀なくされたりと、環境的に厳しい状況にあります。

 全身を使って競う健常者のレースとは異なり、車いすのレースでは、年齢的な低下が出るのが腕力だけなので、体力面で低下はさほど大きくありません。その分、経験値で上回れるプラスもありますし、トレーニング法でカバーしていけば、まだまだピークに持って行けると信じて、毎日練習しています。

 現在は、競技以外にも活動の場を広げています。ラジオのパーソナリティをやらせていただいたり、競技用車いすのリサイクル活動なども始めました。競技用の車いすは値段が高く、競技を始めてみようかと思う人にとっては敷居が高くなってしまうので、リサイクルで協力できたらなと思って始めました。それから、結婚もして二人の女の子にも恵まれました。車いすになった時、将来はこういう自分になっていたいと思い描いていたイメージ通りの自分になれていると思います。やりたいことを仕事にできるなんて、僕は本当に幸せ者です。車いすになって、できなくなったことが多いのではと思われる方もいるかもしれませんが、僕の場合はケガをしたおかげで今の僕があると思っています。この先も、どこまで自分の思い描いた人生にもって行けるか、楽しみにしています。できれば、ずっとずっと走り続けて、この楽しい人生のまま、子どもの成長を見守り、家族とともに歩んでいけたらいいなと思っています。僕は1度、死んでいる人間。生き返ることができたのだから、今度こそ悔いのない生き方をしたい。生きていることへの感謝の気持ちに、誰にも味わえないような最高の人生にしてやろうと思うんです。