Profile 村岡桃佳むらおか・ももか/1997年3月3日生まれ、埼玉県出身。正智深谷高校→早稲田大学スポーツ科学部2年、スキー部所属。4歳で脊髄炎のため車椅子生活に。陸上を中心に様々なスポーツに挑戦する中、小学2年生の時にチェアスキーの体験会に参加。中学2年生の頃から本格的に競技スキーを志し世界を目指す。高校3年次にソチパラリンピックに出場し大回転で5位入賞を果たした。現在は早稲田大学に通いながら、ワールドカップツアーに出向く。単位取得にはオンデマンドを活用。たまの休みには寮でゴロゴロ。遠征必需品は本。得意な種目はジャイアントスラローム。

早稲田大学のトップアスリート入試で障がい者アスリートとして初の合格者となり入学を果たす。現在は学生とトップアスリートという二足のワラジを履いて世界に挑戦する日本女子チェアスキー界で最も世界の頂点に近いといわれる若きエースに、ここに至るまでの思いと、これからに駆ける意気込みを伺いました。

秋と冬はチェアアスリート、束の間の春と夏は大学生

今年の夏はニュージーランドやチリといった南半球に遠征していました。9月下旬に日本に帰ってきてすぐ大学へ。でも長くは通えず10月半ばには遠征合宿に出発。今度は北半球、オーストリア氷河でのトレーニングに入りました。そこで1ヵ月ほど練習を積んで一時帰国。約1週間後、カナダを皮切りにいよいよワールドカップのシーズンインとなりました。その後は、ヨーロッパを転戦。次に日本に帰ってきたのはクリスマスとお正月の時期です。それも束の間、年が明けるとまたすぐにワールドカップに出向き、現在はシーズン真っ只中。これが3月、4月初旬まで続きますので、落ち着くのは4月下旬から5月。帰国してからも大学に通ってあれこれしていると、すぐにまた夏の南半球遠征が始まるという感じです。

海外遠征は確かに大変です。何しろ大きな荷物が5つ、6つになりますので、飛行機に乗るのも一苦労。空港職員さんに「これ、全部お持ちですか?」と少し引かれたりもします(笑)。遠征必携の食料は、エネルギー飲料とカップ麺。良く寝て、良く食べることを心掛けています。さすがに海外遠征の中盤から終盤にかけては「しんどいな」と感じることもありますが、基本的にいつも健康体なので、それは助かりますね。荷物も多いし、自由が利かないこともあるので最初は日本語が通じない環境が怖くて不安で仕方がなかったのですが、それもだいぶ慣れてきました。何とか頑張ってやっています!

初めての雪の上の感触、風を切る感覚が楽しかった!

元々は色々なスポーツをしていましたが、その中でメインにやっていたのが陸上競技でした。小学校低学年の頃、陸上を通じてできた友達にチェアスキーの体験会に誘われていったのがスキーとの出会いです。地元の埼玉県はほとんど雪が降りませんので、初めての雪の上の感覚はすごく新鮮でした。初心者というと、たいていはすぐ転倒してしまったり、後ろから紐で引っ張ってもらいながら滑るものですが、私は割と飲み込みが早く、2日目、3日目には一人で滑れるようになっていました。風を感じて一人で滑る感覚がとても楽しかったのを覚えています。もちろん、陸上競技でも風を切る感覚はありましたけど、スキーほどのスピードは出ませんし、普段はあまり触れることのできない雪の上ということで、楽しさも倍に感じたのだと思います。

毎年1度体験会に行く程度だったのですが、次第に「個人的に滑りに行くけど一緒にどう?」と体験会で知り合った友達に誘われるようになり、滑る回数が増えていきました。何度かコースにも出て滑ってみたこともありました。でも、ターンしようとしても、全然思うように滑れなくて、「なんだよ、コレ…」と思いながら滑っていましたね。正直、全然楽しくなかったです(笑)。
そんな中、中学2年生の時に、菅平高原のゲレンデでトップレベルの人たちが滑っているのを見たのです。その瞬間、「うぁ、すごい!」とクギ付けになりました。当然ながら私が滑るのとは全く違っていて、猛スピードで、でもしっかりコントロールしながら急斜面を滑ってくるわけです。そのターンがカッコいいというか、ただただすごいというか…。その時、「滑ってみる?」と聞かれて、「え?」と思ったのですが、思い切ってご一緒させていただきました。振り返ってみると、これがこの世界に入ることになった第一歩です。