父との“コソ練”のおかげで自分でも驚くほど急成長!

本格的にトップを目指そうと思ったキッカケなのですが…。こういっては何ですが…、一番大きかったのは“選手がいなかった”ということです。正確には「いない」ではなく「ほぼいない」なのですが…。とにかく競技人口が少なくて、世界レベルの日本女子のチェアスキーヤーが二人しかいなくて、「桃佳も挑戦してみれば! 世界に行けるよ!」と周囲から期待の声を掛けられまして。それであれよあれよという間に、海外遠征の話まで来てしまって、帯同することになったのです。当時はジュニアの選手が私しかいなかったのですよ。それで、組織としても、若手の人材発掘に力を入れたかったようで、たまたまその時に一応できそうで、とりあえずやる気もありそうだったのが私だけという感じで(笑)。こんなことを話すとよくないとは思うのですが、でも、本当に最初に競技スポーツとして滑り始めたキッカケはかなり甘かったです。

甘い気持ちで始めたのは事実ですが、中学3年生の時に初めて海外試合に行ったことから目の色が変わってきました。前々から世界大会に出てみたいなという気持ちはあったのですが、実際に初めて海外のトップスキーヤーたちの滑りを目の当たりにして、「すごい」と思うと同時に、「自分もこんな風になってみたい」と強く感じたのです。それで、日本に帰って来てからものすごく練習したのですよ! 私立の高等学校に進学したのですが、そこは土曜日も学校があったので、土曜日の授業が終わってすぐに準備して出発。日曜日の夜までみっちり滑って帰ってきて、月曜日から学校へ。冬の間は毎週末、休みなく滑りに行っていました。そのうちに週末だけでは足りなくて、平日も学校が終わってからナイターを滑りに行くこともありましたね。

コーチや指導者もいませんでしたから、すべて父に教わっていました。といっても父もスキーは趣味程度。競技に携わっていたわけではありませんでしたから、二人で手さぐりの練習でした。もちろんゲレンデはめちゃめちゃ寒くて、父と二人で寒さに耐えながら半泣きで練習していました。カービングターンの技術を身に付けたかったのですが、「分からない」「できない」と言って、父に八つ当たりをしてしまったこともありましたね。でも、とにかく二人で色々なことを話して、ずっと一緒の時間を過ごしていました。いつも練習に付き合ってくれて私をサポートしてくれた父に感謝しています。もちろん、スタートラインに立てば毎回怖いと思いますし、何度も転んで痛い思いもしました。怖いし、痛いし、寒いし、本当に何度も心が折れそうになりました。でも、世界に挑戦したいという思いと、ここまで父がいつも一緒に練習してくれたので一人で闘っていたのではなかったということ。本当に心強かったですし、だからこそ、ここまで頑張ることができました。

父とのコソ練(コソコソ練習すること=自主練習)のおかげで、自分でも手応えを感じるほど滑れるようになっていきました。高校1年生の終わりの時に、トップ選手たちが久々に私の滑りを見て、「え、どうしたの?」と驚いていました。コソ練の成果です! 高校2年生の秋からは日本代表候補の一員として遠征に帯同するようになりました。日本の男子スキーヤーは技術系種目でもスピード系種目でも世界のトップクラスです。本当にすごい選手たちが勢揃いする中に私も身を置くことができたのは、自分の技術を磨く上で本当に大きかったです。私の場合、父とコソ練をする以外は指導を受けてきたわけではありませんでしたから、見て真似て学んできたタイプ。それだけに、先輩方の滑りを間近で見られるという環境がピッタリ合ったのです。滑走日数も一気に増えましたから、ターンの精度も数段上がりました。そして高校3年生の時はソチパラリンピックに出場して5位入賞を果たすことができました。この時はずっと支えてくれた父に少しでも恩返しできて良かったなという気持ちでいっぱいでした。

「夢のまた夢」だった早稲田大学にトップアスリートとして入学

2016年4月、トップアスリート推薦で早稲田大学に入学することができました。最初は早稲田大学に入るなんて夢のまた夢のような話だったのですが…。私の周りに早稲田大学の卒業生が多くて、色々な方から「素晴らしい大学だよ」とは聞いていましたが、最初は「羨ましいな。でも私にはとても無理だろうな」という気持ち。でも、スキー関係の知り合いで、たまたま早稲田大学のスキー部に携わっている方がいて、トップアスリート推薦のことを知ったのです。夢でしかなかったものが、少しずつ現実的になってきて、「早稲田大学に行きたい!」と強く思うようになりました。

ただ、1年のうち半年は海外遠征なので単位を取るのが厳しいだろう、車椅子での大学生活は厳しいだろうと、ハード面で不可能なのではと思っていました。でも、そういった壁があったとしても早稲田大学にどうしても行きたくて、当時、監督と何度も面会してトップアスリート入試にチャレンジする機会を得ることができました。入試前にはスキー部の先輩に受験指導をしていただいて晴れて合格することができ、その後も周囲のサポートに助けられました。スキー部の卒業生や大学に寄付をしてもらい、スキー部寮のバリアフリーを整えてくださいました。単位も日本にいる前期にまとめて授業を取るようにして、遠征に出る冬季はオンデマンドの授業でカバーするなどして何とか必要単位を取得しています。早稲田大学で学業を積みながら、スキーにも打ち込める環境をとても感謝しています。