川内優輝選手が「大阪マラソン2023」に出場!
セカンドベストでゴール!!

2023年03月15日

2023226日(日)、川内優輝選手が「大阪マラソン2023」に出場。2時間735秒のセカンドベスト、12位(日本人6位)でゴールしました。

ご声援ありがとうございました。

 

〇川内選手コメント

スタートの様子

「『2時間7分台後半から8分台前半を狙う』という事前取材通りのタイムは有言実行できましたが、順位は他の選手よりも今の自分は弱く12位でした。

ただ、昨年11月の怪我でボロボロだった防府から約2ヶ月強で30kmで一時先頭を走るまで立て直せたので次に繋がるマラソンになりました。

レース展開を振り返ると、

集団が大きかったので給水所のたびにごちゃごちゃしてペースの急減速や急加速もあり大変でしたが、順調に集団に乗っかって走れました。

前半は風を感じないために集団の前に行きすぎず、途中から段々と集団前方に位置取りを変えていきました。

ペースメーカーが外れるまでは合同練習でお世話になっているコモディイイダの横田選手がハーフの自己ベストを上回るペースにも関わらず、積極果敢に集団前方を走っていたので、後ろから見ていて元気をもらいました。

また1月の大阪ハーフマラソンで少し会話をした大阪府警の谷原選手らも常に近い位置にいたので気持ちよく走ることができました。

29km過ぎの大阪マラソン一番の登り坂では25kmの給水で失敗していたので取りやすい前方へ。

そのため給水所を含む30km付近の下りでは先頭になりましたが、昨年一気に余裕がなくなった反省を活かして、昨年のような全力スパートの勝負はかけずに無理せず五條宮のアップダウンに備えました。

ですので、もっと早く追い抜かれると思いましたが、集団が大きすぎたためか、みんなで牽制し合って、結果的にしばらく私が先頭を走ることになりました。

五條宮付近から持ちタイムの速い外国人選手達がペースを上げてからは最適な集団を探しながら走りました。結果としてJR東日本の作田選手の集団にはまりました。

四天王寺の先の折り返しでは、まだまだ集団に凄まじい人数がいて『今日は凄い記録が沢山出るし、気を抜いたら一気に順位が落ちる』と好記録が続出した2021年のびわ湖を思い出しながら走っていました。

作田選手の集団には御嶽合宿でも何度も会ったトーエネックの小山選手などもいて知り合いばかりで元気が出ました。

途中、九電工の大塚選手にスーッと抜かれていきましたが、1月の大阪ハーフ同様にマイペースの神のような走りでつこうとは思えませんでした。

ペース変動に動じず無駄な力を使わずに淡々と押せるから、大塚選手は安定感抜群なのだと思います。

作田選手の集団は途中で何回か先頭が変わるものの、すぐに作田選手がグッと前に出て引っ張り続ける集団でした。

今里筋に入ってからもその集団でしばらく走っていましたが。ググッと満を持して前に出たのが三菱重工の定方選手。

定方選手が前に出るまでは先頭が変わっても余力がなさそうで実際にすぐに集団に吸収されていたので様子見していましたが、定方選手の走りを見て直感的に『ここで追わなければ終わる』と思い、ついていきました。

一旦落ちたペースを定方選手が戻していったのでキツさもありましたが、必死についていくと、前を行く2人に追いつきました。

セカンドベストでゴール!!

ここで今大会のレースの唯一の判断ミスをしました。

定方選手につくのが一杯一杯で離れそうになっていたため、追いついたモロッコの選手につきかえてしまいました。

ここで苦しくても定方選手を追い続ければ自己ベストだったので、12月まで怪我で練習の下積みがなかった心の弱さが出てしまいました。

結果的にモロッコの選手に少しついたもののペースが鈍ってきたので39km付近からは前へ。

少し前を行く定方選手を追い続けましたが差が縮まりませんでした。

差が一気に開かないものの縮まりもせず、後ろから誰かが来るか来ないかわからず、今日のレースで一番苦しい場面でした。

そしてラスト1km過ぎのアンダーパスを必死に下って必死に登りましたが差は縮まらず。

この時は最早自分が何位なのかもどのくらいで走っているのかもわかりませんでした。

前とかなり離れていたものの誰も追いついてこないので『2時間8分前半だろうか?昨年よりは速く走れるはず』と時計を見る余力もなく粘っていました。

そして大阪城公園に入る橋へ。

あと数百メートルの地点ですが、沿道のおじさんが『久々の2時間7分台!』と叫びました。

『え?2時間7分台?』

前と差がつき過ぎていて自己新ペースで走っていると思わず、予想外の声がけに力が戻り、とにかくゴールまで必死に頑張りましたが自己ベストまで8秒足りませんでした。

自己ベストを更新できなかったのは定方選手につききらなかった判断ミスが一番の要因です。

しかし今回は昨年の大阪マラソンや一昨年のびわ湖毎日マラソンと比べて9割以上の練習ができていましたが、11月12月に怪我で走り込めなかったことが心に引っかかっており、昨年や一昨年のような『これで結果出なかったら何をやればいいかわからない』という精神状態まではレース前に持っていけませんでした。

そのためレース前の取材でも『自己ベストを狙う』と発言できずに『2時間7分台後半から8分台前半で走りたい』と発言していました。

走る前から『自己ベストを出す』という気持ちになっていなかったことが数秒に出てしまいました。

昨年よりも今年の方が1分以上速くなりました。

しかし、それは五條宮付近まで全力を出し切らずに冷静に走れただけの話で、今年は昨年ほどの気持ちが足りませんでした。

そう考えると、これから私に必要なことは『怪我をせずに数ヶ月以上、練習を継続して自信をつけること』です。

2ヶ月弱の追い込みでは昨年や一昨年のようは『自信』には繋がりませんでした。

次の大目標は7月のゴールドコーストマラソン優勝。

その前の目標は5月のバンクーバーマラソン優勝。

その2つの目標とする海外マラソンのためにも怪我に気をつけながら、良い練習を継続して自信をつけたいと思います。

応援ありがとうございました。また、レースを走られたみなさん、お疲れ様でした。」

 

AD Challenge Supportでは、今後も川内選手のチャレンジを全力でサポートしていきます!

 

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